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こんばんは。アカキョです。金曜日です。何日あけちゃったんだろう。
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「死亡フラグ」について語る前に「フラグ」について説明しておく必要があるかもしれない。「フラグ」というのは元は確かプログラムの用語で、ある条件を満たしたらこの処理をする、というような条件分岐の際に、その条件が満たされているかどうかを記しておくスイッチのことである。専用の変数を用意しておいて、その変数に適切な値が入力されていれば次の処理に進む、という塩梅だ。このスイッチのオンを、目印となる旗を立てることに見立ててフラッグ(旗)、つまりフラグを立てると呼んだりするのである。
そこで「死亡フラグ」である。これはゲームで出てくることが多いのだが、アドベンチャーゲームなどの選択肢で誤った選択により主人公が死亡してゲームオーバーになってしまうというようなときに、その死に繋がる選択のことを「死亡フラグ」ということがある。ゲームもプログラムの側面から見ると、この選択肢を選んだら死亡するように処理をする、と記述されているのだから、これもやはり「フラグ」なのである。
この「死亡フラグ」という言葉をさらに拡大解釈して、映画や小説などを見たり読んだりしていて登場人物の死を予感したときなんかに「ああ、この人は死亡フラグが立ったな」などと使うこともできる。戦争映画を見ていて仲間の兵士が「この戦争が終わったら国に帰って結婚するんだ」なんて言おうものなら、その兵士はまず間違いなく死んでしまうだろう。幾分ありきたりではあるが、十中八九演出のために作中で殺されてしまうのだ。そんなとき「国に帰って結婚するんだ」というセリフが彼にとっての「死亡フラグ」となるのである。ずいぶんと斜に構えた使い方であるが、これもまた「死亡フラグ」のひとつといえる。
ついこの間、十年以上の付き合いとなる地元の友人が遠く滋賀に移り住むこととなり、簡単ながら居酒屋で送別会をしてきた。もっとも送別会というほどかしこまったものでもなく、集まった数人の友人とともにいつも通り実のあるようなないような雑談をしながら酒をあおっていただけではある。送られる当の本人からしてみればもう少し何かしら惜別やら激励やらがあった方が思い出になったのかもしれないのだが、私にしてみれば湿っぽくなってしまうのはどうにも性に合わないので、努めて普段どおりに楽しく呑むようにしていたし、むしろその方がいいとも思っていた。これで今生の別れというわけでもあるまいし、大事にすることもないだろうという思いもあったし、にわかには会いに行き難い距離まで彼とはなれてしまう事実を意識したくなかったというのもある。
ひとしきり呑んでの帰り道、尽きない話でズルズルと時間を引っ張りながら、ついにここで別れてそれぞれ家に帰るという分岐になる交差点でお互いに最後の挨拶を済ませると、彼は私に手を差し出した。握手をしようということだった。私はわりにしっかりと彼の手を握り返しながらも、別れ際の握手ってのは湿っぽくて好きじゃないんだよなぁ、というようなことを言ったように思う。そこに含む湿っぽさや感傷的なものを避けようとしたこともあるが、不意に「死亡フラグ」を思い起こしてしまったのだ。もっとも別れ際で握手をしたからって彼が死ぬわけではないし、そんなことがあってたまるものかとも思う。ただ、一つの区切りをつけてしまうことを怖れたのだ。握手を通して互いの関係に区切りがついてしまうのではないか。それはある種の「死亡フラグ」なのではないかと思ったのだ。
「じゃあハイタッチで」。私の考えを察したのかどうか、彼はさらりと提案してきた。なるほど、それはいいアイデアである。別れ際の握手となるとどうしても重いものがあるが、ハイタッチならずいぶんと軽いし、挨拶にしてもちょうどいい。この辺の機転の利かせ方は実に彼らしい。パチン、と景気のいい音を深夜の静まった街中に響かせて、私と彼はそれぞれの家路についた。これなら大丈夫だ、やつなら大丈夫だ。たぶんそのうちにまた喉が渇いたから、と酒を呑みにひょっこりと私の前に現れるに違いない。
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